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持続可能な庭

by Yuki Hattori

 庭に紫色のきれいな花が咲いた。自分で植えたものじゃないから、僕はこの花の名前を知らない。

 我が家は築二十五年の古い家で、僕の前には三人の家主がいた。つまり僕で四代目。先代は、名古屋にあるコンピュータ会社の社長さんで、別荘として使っていたのが高齢で通えなくなったとかで売りに出ていたところを、縁あって買うことになった。 我ながら大きい買い物を思い切ってしたものだと思うけど、同世代の友人たちが地元で建てている真新しい家に比べればはるかに安いので、甲斐性のない自分にはこのぐらいがちょうどいい。

 あれは確か去年の今頃、内覧のために初めてこの家を訪れたとき、まず何よりも庭が素敵だなと思った。この家の庭は、二代目の家主の女性がひとりで作り上げたものだそうで、聞くところによればその女性は有名なガーデンデザイナー。この紫色の花もその人が植えたものだという。

 それ以外にもさまざまな木や草花が植えられていて、春になっていっせいに芽吹き、花を咲かせたときは、あまりの見事さに僕は一日のほどんどを庭で過ごした。

 先日読んだ本によると、天井の低い空間は集中力を、天井の高い空間は想像力をそれぞれ高めるそうだ。ならば、天井のない場所で仕事をしたら…そんな事を考えながら、今も庭でブログを書いている。

 忙しさにかまけてぼうぼうに草を生やしてしまって、ろくに落ち葉も片付けない。家主の無精髭と同じで、まったく手入れができていない庭でも、植物たちは勝手に芽を出して美しい花を咲かせる。今日も庭のいたるところでさまざまな花が咲いている。

 一方で、名古屋から大事に抱えてきたレアものの鉢植えたちは、冬を越えられずほとんどが枯れてしまった。自然に受け入れられたものは翌年も花や実をつけることを許され、そうでないものは容赦なく淘汰される。

 自然は常に優しくて、厳しい。

 僕の人生の大きなテーマのひとつに「サスティナブル=持続可能」というものがある。庭の草花を眺めていると、どうやら自然の摂理に則ったものは持続可能であるようだ。それはたぶん事業なんかも同じで、「人や社会の役に立つ」という、事業が持つ本質的な役割に則ったものは自ずと続いていくし、欲や怠惰など何かのきっかけでそれを外れたとき、やはり容赦なく淘汰されるのだろう。

 庭で過ごす時間から、思えば多くのことを学んでいる気がする。

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